思考は現実化する(お茶)

先日ある美術商の方と利休やお茶の話をしていた。

元々お茶というのは究極の相手とのコミュニケーションの場所だったとの話しに感銘した。

お茶室というものは狭い空間にあらゆるものがそぎ落とされている。

それで静かな何もない空間にお茶をとおして相手とだけ向き合うことができるのだと。

今はゴルフや料亭、クラブなどがビジネスマンや政治家などの会談の場所になるが、究極はお茶なのである。

現代のお茶は作法にばかり焦点があたっているが利休の時代には作法などなかったようだ、それはその後周辺の人が作ったものらしい。

今、高級なお茶道具は非常に安くなっている。

なぜならお茶をやる人が少なくなっていることと前から茶碗など集めていた人が亡くなって相続した人が売りに出すことも多く、需要と供給のバランスが崩れている。

備前、楽焼など相当市場価格が下落してる、
オークションでも不落のものも多い。

5分の一、ビッドオファーはあるが場合によっては10分の一。
注目している。