思考は現実化する(ぼたもち)

学校を卒業して最初の会社の研修の一環で善寺に2泊3日で行くというものがあった。

予想以上にきつかったこともあり同伴した研修部のスタッフが音をあげ翌年から無くなった。

朝3時半起床、写経、座禅、掃除の後に朝ご飯、食事はご飯軽く一杯と菜っ葉の入った味噌汁とたくあん2切れ、昼は無く、夕飯は朝ご飯に一品豆腐みたいなものがつく。

朝寒い中での座禅もきついが、終始眠く腹が減ってどうしようもない。

ふらふらになって寝るが板の間に薄い布団で寒くて寒くて思考停止状態、しかし色々なことを休みなくやらされて疲れて寝てしまう。

なんとか時間の経過を待ちやっと3日目、寒さの中での庭掃除も終わったあと、住職の法話。

法話の後、大きめのぼた餅が一人一つ出てきた。
暖かいお茶と食べた甘いぼた餅の美味しかったこと美味しかったこと。

我慢したために、素朴なぼた餅があんなにも美味しく感じたことが忘れられない。

同じものでも普段の生活の中ではそう感じなかったはず。

あのぼた餅のために3日間があったと思った。

ぼた餅と暖かいお茶に至福の幸福を感じた。

色々なものをそぎ落としてこそ見えるものや感じるものがある。